「Craft SS World!」

戦国時代を中心とした歴史系サイドストーリー!遅筆です。。。

「ラブライブ!Sengoku Warlord Festival ! ~桶狭間編~」 12.5

「ほんとに一人で大丈夫なん?」
「大丈夫ったら大丈夫よ。あんたいつまで私のことを子供扱いする気よ?」
「にこっちも大きくなったねえ。」
「それが子供扱いって言ってんのよ!」
 秋も深まり、いよいよ冬の訪れが迫っている。寒空に映える駿府城の一室で、にこと希は会話をしていた。真面目な話をしていたかと思えば、唐突に希がにこを茶化す、矢澤家では日常的な光景だ。
「とにかく上洛にあんたはついて来なくてもいいから!」

 

 甲駿相三国同盟の締結から一年が経った。
 遠江駿河三河の三国にまたがる広大な領土を持つ矢澤家は内政に勤しみ、上洛に向けた足固めを進めている。
 同盟を結んだ二国との関係は良好である。伊豆、相模で幾度となく対峙した北条家との戦闘は同盟締結以降は一度もなく、武田家ともこれまで通り友好的な交易を行っている。
「さしあたって上洛の脅威となるのは尾張の高坂家、美濃の園田家ね。濃尾平野を二分するこの二国を制圧すれば、そこを足掛かりにいつでも畿内を伺うことができるわ。」
「せやね。できることならば美濃を制圧した勢いで、そのまま近江の浅井や六角まで抜きたいところやね。
 うちが連勝を重ねた勢いで、畿内の勢力が力をつける前に圧力をかけて、上洛を果たしてしまいたいところや。」
「そうなると中途半端な兵力ではダメね。制圧直後の現地での募兵にはあまり期待できないことを考えて、用意すべき兵は三万五千から四万ってところかしら。」
「にこっち……。」
「な、何よ……?」
「ほんまに大きくなったねえ!」
「ほんとにやっかましいわね!」
 この一年、二人は上洛への議論を重ねてきた。どんな内政を行うべきか、道中の敵はどんな規模か、上洛へ必要なことを洗い出し、目的達成のための行動を起こしてきた。そして、今も現在進行形で取組んでいる。

 

 話は冒頭へ戻る。
 声を張り上げたにこと対象的に、希はゆったりと喋る。
「でも本当に、にこっちはしっかりしてきたねえ。矢澤家当主としての風格が備わってきたと思うんよ。」
 実際に、この一年のにこの成長は目覚ましいものがあった。これまで矢澤家当主でありながら、希という存在を頼りにしながら政を行っていたにこの姿には、大大名としての才覚と自信を政にいかんなく発揮し始めた。
 もともと自らの野望を追いかける才覚をにこは備えていた。そして、一年前の善徳寺の会談をまとめた経験が、戦国大名としてのにこをさらなる高みへと押し上げたのだ。
「褒めたって何も出ないわよ。というか、簡単に私を褒めるようになったところを見ると、あんたこそ歳をとったわね。」
「せやねえ。」
 外では木枯らしが吹いていた。城の庭の巨木の葉が一枚、また一枚と落ちていく。
 「それに」とにこが言う。
「あんた抜きって言ったって、私一人で上洛するわけじゃないわ。今川には岡部に朝比奈、鵜殿や伊丹の家臣がいるし、三河の南家のことりだって成長してるわ。遠州一丸になれば成し遂げられるわよ。」
 希は柔らかな表情でにこを見つめる。幼い頃から生涯を共にしてきた弟子の言葉は、希を満足させるには十分であった。
「だからあんたは私たちが上洛したあとに、ゆっくりと尾張や美濃の観光しながら京まで来なさい。まだまだ国力の整備に時間はかかるけど、その時がきたらきちんとあんたを京に連れてくわ。」
 外の木枯らしが更に強くなった。巨木にわずかについていた葉が、また宙に舞う。
 にこの言葉をゆっくり噛み締めた後、希は口を開いた。
「ありがとう、にこっち。ほんで……」

 

「ごめんな。」

 

 希の言葉の意味をにこは悟った。いや、正確には知っていた。

 

「そう……。もう、逝くのね。」

 

 知っていたのだ。知らないはずがない。幼い頃から生涯を共にしてきた師のことを。
 希はゆっくりと促いた。
「うん。ごめんな。」
「謝らないでよ。」
 にこは即答する。
「あんたがいたから私はここまで来れたのよ。謝られる筋合いはないわ。それにさっきも言ったわ、あんたがいなくても大丈夫。
 ここからは私がっ…」
 涙を堪えきれなくなった。そんなにこに、希は言葉をかける。
「昔、うちに聞いたことがあったよね?『太陽を見たことがあるか?』って。」
 にこが始めて希に天下への志を話した時のことだ。思えばこの言葉から、全てが始まった。
 唐突な問いかけに、袖で涙をおさえたにこは顔をあげた。にこの顔をしっかりと見つめて、希は再び喋り始めた。

「うちにとってはな、にこっち。夢を語るにこっちのその姿こそが、うちにとっての『太陽』だったんや。」

 あの時は、にこの話で言えなかった。
「いつか言おうと思ってたんや。にこっちが天下への想いを喋るとき、にこっちの姿はいつも輝いて見えてたんよ。にこっちの言葉には、人を惹き付ける力がある。
 それは信玄公や氏康公はもちろん、他のどんな戦国大名と比べたって引けをとらない、にこっちの力や。天下を目指すにこっちの姿がある限り、矢澤は天下へその力を示してくれる。うちはそう思ってるで。」
 師の最後の教えは、とても暖かかった。にこは、目尻に残った涙をぬぐうと希を見つめ返した。
「希、約束するわ。私は天下をとる。天下をとって、私自身の夢を叶えてみせる。あんたがあの世からでも私を見つけられるように、輝き続けるわ。」
 にこの決意は、あの日から揺るがない。そしてにこの放つ輝きもまた、少したりともくすんではいない。
「最後に、その言葉が聞けてよかった…。ありがとうな、にこっち……。」
 眩く輝くにこの姿を、希はしっかりと目に焼き付けた。そして、ゆっくりと目を閉じていった。
 東條希。「黒衣の宰相」とも呼ばれ、駿河国矢澤家のもとで、その敏腕をいかんなく発揮した才媛は、静かにその生涯を閉じた。

 


「あいつらと会談してから五年ね……。」
 夏のきざしを感じる駿府城。庭の巨木は、その葉を青々と繁らせている。
「『今日あんたらが帰ったら、明日にでも京へ上ってやるわよ』か…、よく言ったものね。随分と時間が経っちゃったけど、昨日のことのように思い出せるわ。私も若かったわね。」
 俯きながら一人言を呟くと、にこは五年前の善徳寺に想いを馳せていた。

「ほーんま、勢いだけは一級品やね。」

 刹那、にこは顔をあげた。あたりを見回したが、城の廊下には誰もいない。
「気のせい……か。」
 もはや聞くことの叶わない師の言葉。しかし、その存在をいまだかつて忘れたことはない。
「希が亡くなってからも四年経つのね。待ちくたびれたかしら。」
 廊下を抜けたにこは、城の正門へ出た。城の正門には、にこの言葉を今か今かと待つ矢澤の兵がひしめき合っている。━━その数、三万五千。
 にこは、眼前の大軍を見下ろすと「ふう…」と一息ついた。全ての準備は整った。あとは号令をかけるのみだ。
 にこは、手に持っていた采配を振り上げた。
「私たちはこれより京へ経つ!矢澤の力を天下に示す時がきたわ!全軍、出陣!」
 約束を果たすときがきた。合図と共に、城門からあがった喚声は希に届いているだろうか。にこは天を見上げる。

 

(待たせたわね、希。)

 

 

<⑬へ続く>

 

「ラブライブ!Sengoku Warlord Festival ! ~桶狭間編~」 ⑫

「……ずいぶんとナメられたものね。」
 にこは、晴信と氏康をにらみつける。
「……ナメる?……矢澤殿を?」
と言うと、晴信は肩をすくめてみせる。
「ははっ、とんでもない。ナメてなどいるものかよ。なあ、氏康殿?」
 晴信は氏康に問いかける。氏康は黙ったままだが、晴信の言葉で交渉が動くのを待っているようだ。
「矢澤殿、とくと考えてみられよ。この三国で盟約を結ぶ、武田は北の長尾に、北条は関東の制覇にあたる。これはよい、儂の望むところでもあるし、氏康殿の望むことでもあろう。これはよいのだ。」
 晴信は首肯しながら話す。氏康も否定の言葉を出すことはない。
「問題は矢澤殿よ。矢澤殿は西へ向かい、上洛を目指すであろう?そして、矢澤殿には、上洛を為す力もある。これが問題なのだ。
上洛すれば、矢澤殿は朝廷や幕府の名を借り、戦をすることになる。中央の権威が落ちているとは言え、全ての戦に大義名分を掲げることができ、相手を朝敵に回すことができる効果は絶大よ。」
 晴信は一瞬だけ間を置くと、この交渉の急所とも言える言葉を繰り出した。
「つまりは矢澤殿よ、この盟約により三国の得られる国益が著しく違うのだ。」
 晴信は繰り返す。
「この三国同盟、お互いが大国であるがゆえに、盟約の内容は半端なものであってはならぬ。我らが国益の差に不満を持てば、将来の三国の関係を揺るがす火種になりかねぬ。これは矢澤殿のためでもあるのだ。互いの国益の差を埋め、我らが納得いく形での盟約を結ぶほうが長い目で見てもよいと思うが。」
 全て希が予見した通りだ。甲斐の虎と相模の獅子は、この盟約により得られる三国の将来を見抜いている。そして、その将来の話すらも交渉の材料として使ってきている。
「先程も申したが、河東は我が祖父、早雲公より伝来の北条の地。この交渉の場で相手にされずとも、いずれ弓矢と槍を持ってこちらからお相手いたそう。」
 ここで氏康が閉ざしていた口を開いた。氏康もにこを揺さぶってきている。目の前の一国の大名を相手に、軍事行動の可能性を隠さない。晴信と氏康は、あらゆる手段を用いて交渉による最大限の国益を得ようと画策している。
 この場の交渉結果によっては、今後の各国の戦略に大きな影響を与える。戦国の雄達は互いの肚を探りあっていた。

 ただ一人を除いては。

(……この場面、希ならなんて言うかしらね。)
 厳しい状況に、にこは口をつむいだ。
(希ならこんな状況すらひっくり返すんでしょうけど。)
 その希はこの場にはいない。希の交渉術を恐れた晴信と氏康に退場させられてしまった。
 それすらも希は読んでいる。
(まったく、あいつ、どこまで読んでるのよ。凄いを通り越して呆れるわ……。
 それでいて、『にこっちがいつも通りやってくれば上手くいくと思うで。』……だってさ。無責任な言葉もあったもんだわ。)
 にこは、つむいだ口に薄ら笑いを浮かべた。

(その言葉……、信じたわよ、希!)

「矢澤殿、何がおかしい?」
 にこが口元に浮かべた笑みを、晴信がいぶかしむ。

「そうね、ちゃんちゃらおかしいわ。」
 立ち上がった海道一の弓取りは、目の前の虎と獅子をじっと見据える。
「……私のためを思って?……弓矢をもって私らと戦う?」

「それが『ナメてる』って言ってんのよ。」

 突然発せられたにこの言葉に、晴信の出していた穏和な雰囲気が消え、氏康の顔はより険しさを増した。
「あんたら、なんか勘違いしてるわ。」
 にこは座り直すと、何か言おうとしている二人より先に言葉を発する。
「勘違いだと…?」「なに…?」
 二人の言葉はほぼ同時だった。
「そうよ。あんたらはこの三国同盟が成立しなければ私が京都へ上洛できない、そんなふうに考えてるわけよね。」
 晴信が答える。
「違うのか?…氏康殿は知らぬが、もともと矢澤と我らは同盟国。将来的にもあくまで友好な関係でいたいと思っておるが、それはこの交渉での矢澤殿の態度次第と思っておる。
 将来的に国益に差が生まれ、我らが不満を覚えて困るのは、京を目標に我らに背を預ける矢澤殿であろう?」
 氏康ほど直接的な言葉ではないが、晴信も軍事行動の可能性を暗に示している。
 にこは即答する。
「違うわね。この盟約が成立しようがしまいが……、私は京に上るわ。」

 かすかな沈黙の後、今度は氏康が言葉を捻り出す。
「……それはこの北条と武田、両家と敵対してもそう申されるのか?」
 これにもにこは即答する。
「関係ないわね。さっきあんた言ったわね、この交渉が破談すれば『弓矢と槍を持って相手する』って。
 いいわ、かかってきなさい。そっちがその気なら、こっちも弓矢と槍で応えるだけよ。」
 にこの言葉に氏康は閉口した。慌てて晴信が場をとりなす。
「矢澤殿も北条殿も落ち着かれよ。もともとはこの場は三国の関係を取り持つために設けられたもの。興奮めされるな。」
 そういう晴信にも、交渉の始まりからまとっていた余裕は消えている。会談の空気は、着実に変わりつつあった。
「矢澤殿よ。いくら矢澤家の国力が強大とはいえ、我らを相手に戦いながら京へ上ろうとは、ちと自惚れがすぎるだろう。もちろん我らは友好でおりたいとは思うが、互いの情勢の如何ではその考えも覆るのも戦国の世の習いというもの。
 この戦国の世の中で、矢澤殿のその言葉、その自信はどこからくるのか。感情論の前に、まずはそれをお聞かせ願いたい。」
 晴信の眼光は鋭さを増し、氏康の表情はさらに険しくなる。目の前の『矢澤にこ』という人間が、敵に回してもよい存在か、両雄は品定めを始めた。
「どこからくるのか、ねえ……。」
 少し言葉を溜めた後、にこは言い放つ。

「そんなもん、私がそうしたいに決まってるからじゃない。むしろそれ以上の理由なんて、いらないでしょ?」

 晴信と氏康は唖然とする。何も言えない二人を前に、にこは話を続ける。
「だいたい、あんたたちの言ってることっておかしいわよ。『駿河、甲斐、相模の三国が対等な関係として同盟を結ぶ。』三国にとってこれ以上に平等な話ってないと思うし、それにぐちゃぐちゃ条件をつけるほうがよっぽど遺恨が残るわよ。」
 まくし立てるようなにこの言葉に、氏康がやっとのことで口を開く。
「……我らが、『条件が整わぬならこの話は飲めぬ。』と言えば?」
「『あっそ。』……って答えるわ。」
 にこは即答する。
「何を言われようと私の話は何も変わらないわ。さっきも言ったけど、この話が成立しようとどうなろうと、私は京へ上洛する。
 今日あんたらが帰ったら、明日にでも京へ上ってやるわよ。」
 にこの言葉に晴信も氏康も言葉が出ない。どう考えても現実的な話ではない。
『ただの阿呆か、それとも駿河にはそれだけの力があるのか。この目の前の娘の大言壮語を現実にするだけの力が……。』
二人はそんな考えを頭の中に巡らす。

「あんたたちには……『夢』はないの?」

 難しい顔をする二人に、にこは問いかける。
「「『夢』?」」
 二人はにこの唐突な問いかけに対し、おうむのように言葉を返す。
「そう、夢よ。」
 にこは繰り返すと、腰を下ろした。
「そんなに難しい話じゃないわ。私は京へ行き、矢澤家の力を示す。そして矢澤家の名のもとで天下を統一し、この乱世を終わらせる。」
 天下への志をはっきりと言いきった海道一の弓取りは、再び二人の怪物を見据える。
「終わらせるのよ。力のある人間たちの野心で、力のない多くの民が簡単に傷つくようなこんな馬鹿げた世の中をね。それが私の夢よ。そこへの道筋にあんたらがいようがいまいが関係ない。あんたらが敵ならば、私はあんたらを打ち倒して私の夢を叶えるわ。」
 晴信と氏康は口を開かない。にこは続けて言う。
「私には夢があるわ。……己の一生をかけてでも叶えたい夢がね。」

「もう一度聞くわ。あんたたちには『夢』はないの?」

 一瞬の静寂の後、先に口を開いたのは晴信だった。「はーぁっはっはっはっ!!やられたのう!氏康殿!」
 豪快に笑う晴信とは対照的に、氏康は押し黙ったままだ。虎の顔は戦国の雄としての表情を浮かべ、その眼には溢れ出んばかりの光が灯る。
「のう氏康殿。儂はこの話を飲もうと思う。己が夢へ語りかけられては、それを叶える機会を逃すわけにいかぬわ。」
 かたや軍神と呼ばれる終生の宿敵と決着をつけること。かたや祖父以来の宿願である関東を制覇すること。
 戦国を代表する二人の男の心に、「夢」がないはずがない。
 にこの言葉に駆引きは存在しなかった。ただ彼女の言葉は、国を治める大名としての二人にではなく、戦国に生きる武将としての二人の心を揺さぶったのだ。
「『民を慈しみ、安んじよ……。』」
 今度は氏康が口を開いた。「え…?」とにこ言うが早いか、氏康は続ける。
「我が父、氏綱公が黄泉へ逝く前に残された言葉だ。」
 氏康は再び眼前ににこを捉えた。
「矢澤殿。お主の『この乱れた世の中を終わらせる』といったその言葉、額面通り受け取るわけにはいかぬ。」
 氏康の否定的な言葉に、にこは目をつむった。
「矢澤殿の作る世の中が、北条の民を苦しめ、ひいては日の本の民を苦しめるものならば、我らは容赦せぬ。
……それまでは、盟友として各々の道を進もうではないか。」
 その言葉ににこは目を開いた。氏康の言葉は、同盟を容認するものであった。
 晴信がぽん、と膝を叩いた。その表情は穏和な雰囲気に戻ってある。
「はっはっ。これにて会談は終いじゃ。いろいろなことを申しておったが、氏康殿、お主意外と話がわかるやつではないか。」
「やかましい。」
 晴信の軽口に、氏康はピシャリと一言だけ口にした。
 ここに、甲駿遠の三国の同盟は成立したのである。

 

 その後の盟約の手続きは滞りなく進んだ。会談の場で誓紙が交わされると、晴信の娘は北条家へ、氏康の娘を矢澤家の虎太郎のもとへ、そしてにこの妹、ここあが武田家へそれぞれ嫁入りし、それぞれの娘たちは人質交換の役割を担った。
「これで、もう後には戻れないわね。」
 にこは呟いた。にこの妹、ここあが晴信のもとへ行った。わかってはいたが、にこにとっての最愛の妹が去った悲しみは大きかった。
「そうや、ここから前へ進むだけや。」
 大きな悲しみと引き換えに、にこは前へ進むことを決意した。
 希の言葉は、にこの夢の始まりを告げていた。

 

<12.5へ続く>

「ラブライブ!Sengoku Warlord Festival ! ~桶狭間編~」 ⑪

「どっちが切り出してくるかわからんけど」という言葉を枕に、駿河の軍師は当主に告げる。
「この三国同盟を結ぶ際に、武田北条は矢澤に対して間違いなく条件をつけてくる。」
 会談の数日前の希の言葉は、にこの覚悟を諮るものだった。
「条件…?」
 にこは希に聞き返す。
「そうや」と希は間髪入れずに返すと、説明を始める。
「この同盟、三国の利害が一致して盟約を結んで、お互いがそれぞれの目的を達成したときに一番利があるのは矢澤家やっていうのはさっき説明した通りやん。」
 にこもそれは理解している。この三国同盟が成立するとき、それはにこが京へ上洛するための最大の難所を越えることと同義だ。
「うちが一番得をするから、武田と北条はその利害の穴埋めをするために、うちに対して条件をつけてくるってこと?」
 希は頷く。
「そうやね。武田と北条にとっては、矢澤に上洛を許すのは面白くない。そして三国が他に比類のない大国になった時、三国の間で国力の差ができるのはもっと面白くない。だからそれを防ぐための条件をつけてくると思う。」
 にこは、その通りかもしれない、と頷く。相手は晴信、氏康という戦国屈指の名将、にこが思い描く理想図をそのまま描かせてくれるはずがない。
「で?具体的にどんなことが要求されると考えてるわけ?」
「せやなあ、具体的には…」

「具体的には現在、遠州から甲斐国へ輸入している塩および海産品の無償提供……などよいかも知れぬな、どうであろうか?」
と晴信は言うと、氏康に尋ねる。
「北条殿は何か意見はあるかな?」
尋ねられた氏康は即座に答える。
河東郡を返還願おうか。……まあ河東は古来より我が北条の領土、この場でよい返事が聞けなくとも、いかなる手段を使ってでもいずれ返してもらうがな。」
 にこは背筋が震えたのを自覚した。その理由の半分は、ここから始まる難敵との交渉に。そして半分は、晴信と氏康の言葉を寸分違わず言い当てた、希に。

「まあ、相手の出してくる条件としてはこんなとこやろな。」
 希はにこへ説明をした。にこは難しい顔に変わる。
「どっちも『はいそうですか。』……ってわけにはいかない内容ね。」
 にこが言うように、武田と北条の要求は矢澤にとっては大きな負担となる。
 晴信の治める甲斐国は海がない。すなわち甲斐では海産品は諸外国を回る商人に依存している状況にある。海産品の中でも特に「塩」の重要性は高い。平時はもちろん、ひとたび戦になれば食糧の保存に塩が大量に必要になる。しかし通常、何千、何万もの兵隊の食糧を保存するための量の塩を普通の商人から手に入れるのは困難である。
 そこで登場するのが矢澤家だ。矢澤が治める駿河国は海に面しており、駿府で生産された海産品は矢澤の御用商人を通じて甲斐国へ輸出される。矢澤と武田は友好関係にあり、甲斐国は安定して塩を中心とした海産品を得ることができ、駿河国はその見返りとして甲斐国から安定した収入を得ることができる。
 そして、駿河にとって甲斐国から得られる収入は決して少なくない。矢澤家による武田家への輸出海産品の無償化、これは言い換えれば矢澤家の収入を圧迫する、ということだ。
 現在、矢澤家が治める河東郡は、八年前、北条家がその武名を天下に轟かせた河越合戦の際に、晴信の調停によって北条から矢澤へ割譲された土地だ。この土地を割譲したからこそ、北条は河越合戦に勝利できたわけだが、北条はこれ以降、たびたびこの土地へ出兵している。この場所は相模、駿河両国の要衝にあり、ここを押さえることにより、北条と矢澤がお互いの本国へ圧力をかけることができる場所なのである。
 つまり、盟約が結ばれた後、万が一それが崩れることがあった場合、この河東の地を北条家が押さえていれば、北条は矢澤の本国である駿河を一気に狙えるのである。そしてその「万が一」は、戦国の世ならいつでも起こり得る。
「口にしといてなんやけど、もちろんこの条件は飲めんね。」
 希はにこの言葉に首肯した。
甲斐国への安定的な塩の輸出は、裏を返せば矢澤にとって安定的な収入を得られる手段だということ。この収入は矢澤の戦費にも賄われてる。これが入ってこなくなると…」
「これからの戦の戦費を賄えない。つまりは私たちの上洛の時期が遅れる、ということね。」
 希の言葉の先をにこが言う。希は頷いた。
「河東もそうやね。駿河と相模の軍事的要衝やからここを抑えられると、何かの間違いで同盟が破棄された時、駿河の危機になりかねない。」
「そして時期を見計らって、北条がその間違いを起こしてくる。その可能性を捨てきれないと、盟約を結んでも結局は駿河の背後を気にしながら上洛に向かわなきゃいけない。」
「よくわかってるやん。さすがにこっち。」
 感心した、という顔で希はこれにも頷いた。希が手放しでにこを褒めるのは珍しい。
「そういうことやね。だからにこっちは、相手の条件を拒みつつ、交渉をまとめなきゃいけない。条件を拒んだら、相手は戦も辞さない構えをとってくるだろうね。」
 にこは静かに頷いた。そして希の次の言葉を待つ。
「で?その方法は?」
 問いかけに対して希は首を横に振り、こう言った。

「いや?そんなん特に考えてへんよ。」

 にこはずっこけた。現代の芸人に劣らない反応である。信じられない、という顔を希に向けると、希を問い詰める。
「いやあんた、そんな一筋縄でいかないところというか、この交渉で一番大事なところでしょ?そこを考えてないわけ?下手したらあいつらと本格的な戦になるわよ?」
「なるかもねえ。」
 希はやんわり言うと、諭すように続けた。
「でもにこっち。この国の当主はにこっちやん。盟約を結ぶか、条件を飲むか、突っぱねるか、はたまた戦をするか…こんな大事なこと、他に誰が決めるんよ?」
「うぐっ…。」
 希の目から笑みが消える。その視線は、狼狽する駿河の当主に注がれる。
「これを決めるのは少なくともウチやない。他の矢澤家臣達でもない。これは、にこっち……。にこっちが決めなあかんことや。」
 駿河国矢澤家はにこと希の両輪で走っている国だ。にこが「この国はこうありたい。自分は矢澤当主としてこうありたい。」という絵を描き、希がその絵を描けるように支える。そうして矢澤家は戦国随一の大名家へと成長してきた。
 甲駿相三国同盟━━。たとえ難しくとも、この大きな大きな絵を、にこは描きらなければならない。

 希の目を見たにこは、すうっと息を吸うと覚悟を決めた。
「……あーもう、わかってるわよ。ここまでそうやってきたんだものね。まったく、難しいこと言ってくれるわ。」
 その言葉を聞いた希は、またやんわりとした雰囲気に戻った。
「わかってくれたようで何よりや。じゃこれで軍議は……」
「おしまい、頑張ってな。」と言いかけた希は、再びにこに話しかける。
「あー、あれよ、にこっち。そんなに気負わんでええと思うよ。ウチはどんな結果になってもにこっちの決断を尊重するし、にこっちを支える。他の矢澤家臣もみんなそう。駿河の民もそう。」

「だから、にこっちがやりたいようにすれば、それでええんよ。」

 

 希の言葉に緊張していた顔をしていたにこの表情が緩んだ。幼少の頃からにこと暮らし、にこを育て、にこと命運を共にし、誰よりもにこを理解している軍師の言葉は、当主を安心させるには十分なものだった。
「わかってるわよ。別に気負ってなんかないっての。晴信でも氏康でもかかってきなさい。いくらでも倒してやるっての。」
 いつものにこが戻ってきた。
 希は続けて言う。
「それにな、にこっちがいつも通りやってくれば、この会談も上手くいくと思うで。なーんの根拠もないけど。」
 にこはまたずっこける。
「あんたねえ……そこは嘘でもあるって言いなさいよ!」
 希の言葉ににこが突っ込む。元気なにこの姿を希は眩しそうに見つめていた。

「ラブライブ!Sengoku Warlord Festival ! ~桶狭間編~」 ⑩

 ──会談の数日前

「今回の会談、にこっちには一人であの二人を相手することになると思うんやけど…。」
「はあ!?あんた、出席しないわけ!?」
 夏の暑い日だ。じりじりとした暑さはどこへやらといった涼しい雰囲気の声で喋る希と、外の蝉の鳴き声に負けない声を出すにこの声がする。
 にこと希は会談を控え、打合せを行っていた。意味深な言葉を口にする希に、にこは質問をぶつける。
「それはちょっとちゃうね。一応ウチも出席はするつもりやけど、たぶんあの二人に途中で追い出されるんとちゃうかな。」
「いやいやなんでよ。晴信や氏康にとってもあんたがいたほうがこの話が進めやすいじゃない。あんたが発案者で、使者としてあいつらのとこに行って話をつけてきたんだし。」
 希は、どこから説明したものやら、と空を見つめながら思案する。
「うーん。にこっち。にこっちと晴信公や氏康公との認識はちょっとずれてるかなぁ。」
「どういうことよ?」
 希の言葉に、にこは怪訝な顔をする。もはやお馴染みの光景だ。
「この盟約の大事な部分についての認識やね。
 にこっちにとってこの盟約の一番大事な部分はどこ?」
「もちろん、上洛のための背中固めよ。あいつらに背中を預けて、矢澤は上洛へ力を注ぐ。あんたが説明した通りよ?
 ……今さら聞くようなことじゃないでしょ?」
 希は縦に首を振る。
「そうやね。じゃあ、武田と北条の一番大事な部分は?」
「そりゃ、うちと同じように背中を預けあって、武田は越後の長尾と戦う、北条は関東の制圧にかかる。これもあんたが説明してくれたじゃない。」
 希はこれには首を静かに横に振った。
「その部分やね、お互いが重要に思ってる部分の認識が違うんよ。そこを読み違えると、この会談、上手くいかないかもしれへんね。」
「縁起でもないわね。もったいぶらずに説明しなさい。」
「せやなあ……」と言うと、希は説明を始めた。
「まずこの会談は三国の利益となることは間違いない。武田は北へ、北条は東へ、そしてうちらは西へ、それぞれ国土を拡げることが可能になる。そしてお互い、領土の拡大と共に、それに見合う兵数や石高も多くなる。」
「私だってそういう認識でいるわよ。それの何が問題なの?」
 何を当たり前のことを、と言わんばかりににこは問いかける。
 希はその問いに対して、さらに問いをぶつけた。
「それなら、その先は?」
「……え?」
「武田が、北条が、矢澤が、それぞれが勢力を拡げていく。拡げて拡げて、この日の本にもうお互いの勢力しかなくなったら?」
 にこは返事につまづく。そんなにこを見て、希はさらに言葉を投げかける。
「そうなれば互いに敵のいなくなった三国で、この日の本の覇権を争うことになるやろね。」
 希の言葉の温度が低くなる。
「そうなった時に一番有利なのは、間違いなくうちら『矢澤』や。
 この三国同盟が成立すれば、機を見て矢澤家は京へ上洛をする。そうなると肥沃な濃尾平野や、人口が多く、高い経済力を誇る畿内を制圧することになる。なにより京を押さえれば、朝廷や帝に対して謁見を行うことができる。
 そうなれば……、今は綺羅将軍がいるけど、そのうちにこっちには将軍か、それに準ずる立場を与えられる。
 矢澤の兵隊達は、ただの兵隊じゃなくて、御旗を掲げる官軍となり、この日の本を乱す者達を打ち破る兵隊になるんや。」
 希の言葉に、にこは息を飲む。希の話は、まさしくにこが求めていた未来図、すなわち日の本を治め、争いをなくすために重要な部分を写し出していた。
 希の声の温度はもう一段低くなり、にこを捉える。
「うちが何を言いたいか……もうわかるよね?」
 にこは静かに頷いた。

「そうさせないように、武田や北条は動いてくる……。
 それが、あいつらにとってのこの盟約の最重要部分ということね。」

 自明の理だ。
 将来的に矢澤が強大な国力を持つ、すなわちそれは武田と北条にとって、将来的な衰退を意味する。水がとうとうと上から下へ流れる、まるで高僧がこの世の当たり前を説くように、希は言葉を紡ぐ。
 いったん希の話を理解しかけたにこは、しかし否定するようにかぶりを振って言った。
「でもそれは、希の考えすぎでしょ?希がそう考えてたって、あいつらはそう考えてないかもしれないじゃない。だいたい、そんな状況になるなんて何年、いや何十年先になるかもわからないのよ。」
 希は間を置かずに返した。
「信玄公も氏康公も傑物やもん。一国の運命を背負って外交に望むんやし、うちが考えるくらいの見通しは考えてるよ。もちろん、その先の景色だって見てると思う。」
 そして、続く言葉が決め手だった。

「それに、にこっちだって、にこっちが思い描いているその景色を、これから現実にしようとしてるやん。
 それが何年先、何十年先になったとしても。日の本の民のために……。」

 にこは目を瞑る。静まり返った部屋に、外の蝉の鳴き声が響く。

「私が夢を追いかけるように、それがどんなに遠い未来だろうと、あいつらも国を強くするために理想を追いかける。
 そして、あいつらには自分達の理想を実現するだけの『能力』がある。」

 希は無言のまま、にこを見つめる。その口からは否定の言葉は聞こえてこない。
 矢澤家と周辺大名のとりまく状況と、希の言葉、そして自分の野望を自らの中で咀嚼しているのか、にこは目を瞑ったままだった。

「それはもちろんにこっちにも、ね。」

 目を瞑ったままのにこに、希はぼそっと呟いた。
「なんか言った?」
「なんでもないよ」
 目を開けたにこの問いに、希は即座に返事をする。
 「あっそ」と言うが早いか、にこは希に問いかける。
「この盟約の武田と北条の認識についてはわかったわ。私の認識を正す必要があることも。
 でも、ここまでの話の中で、別にあんたが会談で追い出される理由は一つもなかったと思うけど。」
 にこの疑問は最初に戻った。元を辿れば、会談への希の欠席発言から広がった話だ。
 希は「せやったね」と一言言うと、にこの疑問に単刀直入に答えた。

「理由は簡単やね。ウチの存在があの二人にとって邪魔な存在だからや。」

 にこは「説明を省かないでよ」と言わんばかりに、冷ややかな目を向ける。
 希は「ごめんごめん」と謝ると、説明を始めた。
「まあ、ほんまに理由は簡単な話で、ウチが交渉に行ってきた時、あらゆる手段を尽くしてあの二人と交渉してきたんよ。」
「あらゆる手段。」
 にこは希の説明の一部をおうむ返しに呟いた。希は頷く。
「そうや。この三国同盟の話、北条はもともと矢澤と敵対してるし、武田も警戒心が強かった。ウチがこの盟約の説明をした瞬間に、さっき言ったような未来を見通されてると感じたんよ。
 だからウチが持ってる全ての情報をひねり出して……」
 希の続きの言葉をにこが先取りする。
「警戒心を解いてきた、ってわけね。」
「いや?さらに警戒心を煽ってきた。」
 希の言葉に、にこはずっこける。ここまでくるとさながら漫才のようだ。
 希はいかにもにこらしい反応をするにこを尻目に説明を続ける。
「ウチら矢澤の間者が探ってきた両家の兵力や兵坦、軍資金、周辺大名の状況をもとに、矢澤の国力と比較して、今ここで三家が互いに争う場合と、三国で盟約を結ぶ場合、どういう未来になるかを説明してきたんよ。」
 希はけろっとして言うが、とんでもないことである。
「それってあんた……、仮にもこれから友好国になろうとしてるところに対して『あなたたちの国力を私たちは探ってますよ』って言ってるようなもんじゃない。
 ……まあ、それは百歩譲ってもいいわ。それより問題なのは『説明』って言いつつ、うちの国力を相手方に教えてるじゃないの!軍事情報は国の機密事項よ!それは聞き捨てならないわ!!」
 一介の大名として、にこの怒りは最もなものだ。ただ、希はその怒りに悪びれもせず返事をする。
「まあまあ落ち着いて。相手の国力を探るなんて、この戦国乱世なら当たり前で、そんなんウチが言葉に出さなくても二人とも知ってることやん?
 それに、ウチらは北条や武田相手に間者を放って情報を掴んでる。それは裏を返せば、相手も当然間者くらい放っててウチらの情報を知っている……ってことや。」
「ぐぐ……。でもあんた、それは屁理屈じゃない。」
 希の言葉に、困った表情を浮かべるにこ。希はさらに追い討ちをかける。
「屁理屈でもなんでも、実際に武田と北条はこの交渉の場に現れることになった。強い警戒心を持っていながらも。それは、晴信公も氏康公も、自分たちと矢澤の彼我の差を自覚したからや。
 自覚したからこそ、ウチの言葉に今後の展望を恐れて、すんなりとこの場にきたんよ。」
 希は、にこが小さな頃からにこの教育係をしてきた。にこは、師とも言える希から多くのことを学び、吸収してきた。そしてにこの成長と共に、矢澤国も成長してきたのだ。

「にこっち、覚えといて。掴んだ情報をただ持っておくだけじゃその価値は半減や。自分が望む展開を作るために使ってこそ、情報は価値を持ってくるんよ。」

 希の言葉に、にこは大きく息を吐き出す。今回の希の教えも、にこは理解し、吸収したようだ。
「わかったわ、希。この場にあいつらを引っ張ってきたのは事実だし、このことは不問にするわ。」
「さっすがにこっち。物分かりがええやん。」
 おどけた言葉と一緒に、希は主君であり、弟子であるにこの成長に笑顔を見せた。そして続けて説明をする。
「でな、にこっち。今言ったみたいな交渉は誰にでもできるわけやないと思うんよ。っていうか、矢澤中の人材を集めたとしてもウチしかできん。」
「あんたそれ、自分で言っちゃうのね……。」
 にこの表情は忙しい。自信満々の希に、今度は呆れ顔をしていたが、すぐに思い直す。
「まあでもそうね。他でもないあの晴信と氏康を相手に、ここまでの芸当ができるのはあんたくらいのもんだわ。」
 矢澤家はもちろん、他家や周辺勢力にも精通しており、間者の情報をもとに状況を分析し、相手の警戒心を逆手にとる大胆な発想と交渉術を持っている人間は他にはいないだろう。
「おっ?珍しく素直に誉めてくれたね。誉めてもなんも出んよ~?」
「うっさいわね。素直に受け取んなさい。」
 にこはまたすぐに呆れ顔に戻った。そんなにこと対照的に、希は真剣な表情に戻る。

「そんな交渉術を持つ人間が相手方にいる状況で、お互いの国益を賭けた交渉をしたいと思う?」

 その言葉でにこは全てを察した。
 この三国同盟はお互いの未来をかけた交渉となる。交渉の中で、どういう過程を経て、どんな結論に至るかはわからないが、希が最初に言っていた通り、少なくとも武田や北条にとっては、この交渉の場における矢澤家の東條希の存在は『邪魔』でしかない。
 希の言葉を理解してなお、にこは上手く言葉を出せなかった。獅子と虎を相手に、希抜きの交渉が現実味を帯びてきている。
 外は日が落ちてきた。うるさく鳴いていた蝉の声もほとんどしなくなっている。
「…………わかったわ。そういう可能性があるということは考慮しておく。
 ……そうなった時にどうしたほうがいいか教えてちょうだい。」
 捻り出したようなにこの言葉は、静かなものだった。
「せやね。」
 希はいったん思案すると、答える。
「第一に、交渉の場からウチを排除するような言葉が晴信公、氏康公のどちらからか出てきたら、にこっちはその提案をすんなりと受け入れること、やな。」
 にこは自分の師の言葉を静かに聞いている。「なんでよ?」とも聞き返さない。
「にこっちが必死になってウチを引き留めようとしても、あの二人のことや。いろんな理由をつけてウチを除けてかかる。そうなるならば、すんなりと提案を飲んでおいて『矢澤方は東條抜きでも交渉できる余裕がある』と思わせるんや。
 逆に必死に反対したら『矢澤方には東條抜きで交渉する余裕がない』と思われるやろからね。」
 ここらへんも希の交渉術だ。あらゆる展開を読んで、自らが最も有利な状態に立てるように策を巡らす。にこも希の意図をきちんと理解したようだ。
「頼んだで、にこっち。」

 

『貴殿はこの場から中座願おう。』

 氏康の言葉は、にこにとってもとより想定していた展開だった。にこが真に驚いたのは、この言葉を聞いたから、というわけではない。一流の占い師の予言のごとくあたる希の言葉に驚愕したのである。
『まあ、まさかこんな直接的な言葉でくるとは思わなかったけどね。』
 にこは二人が希を脅威として認識しているのを肌で感じとった。氏康の直接的な言葉はその裏返しだろう。
 希が退室した後の部屋は一層の緊張感に包まれた。この場には三人の戦国の雄しかいない。
 希を退場させたにこは、二人に問いかける。
「お望み通り東條を退室させたわ。でも、この盟約が『よく状況を全局的に見据えた策』なら東條がいても何も問題ないじゃない。さっさと誓紙を交わして、お互いに留守にしている国元に帰りましょ。」

 嘘だ。この言葉は、にこの本心からの言葉ではない。なぜならにこは、このあとに二人から出てくる言葉を知っている。

「まあまあ、矢澤殿。結論を焦らずともよいではないか。我らはこの盟約について、まだまだ交渉の余地があると思っておるのだ。」
 にこに返事をしたのは晴信だ。
「矢澤殿、儂はこの盟約は非常によき策と思う。よき策なればこそ、さらに互いの利を高め合おうではないか。」
 晴信は続ける。

「この盟約に、さらに条件を付けさせてもらおうか。」

「ラブライブ!Sengoku Warlord Festival ! ~桶狭間編~」 ⑨

 時は戻り駿河の国、善徳寺の一室。
 部屋には張りつめた空気が漂っている。それもそのはず、この場には戦国の時代を象徴する三人が互いに対峙していた。
 甲斐国当主、「甲斐の虎」の異名を持つ武田晴信
 相模国当主、「相模の獅子」の異名を持つ北条氏康
 そして、この会談を画策した駿河国当主、「海道一の弓取り」の異名を持つ矢澤にこ
 そしてこの三人に加え、この会談の真の提案者である矢澤家臣の東條希がにこの後ろに控えていた。
『……本当に、やってくれたわね。希。』
 今、この善徳寺で、歴史が大きく動こうとしていたのである。
 
「晴信殿、氏康殿。お二方とも駿河国までご苦労だったわね。とりあえずお茶でも飲んで、一心地つくといいわ。」
 緊張の中、会談の口火を切ったのは駿河国当主、矢澤にこだった。
「我らは自国を家臣に任せ、この場に参った身であるゆえ、一刻も早く国へ戻りたい。思うてもない労いは結構として、早速矢澤殿の話を拝聴したく存ずる。」
 にこの言葉に刺のある返事をしたのは相模国当主、北条氏康。彼はつい半年前まで相模国駿河国の国境を巡り、矢澤家と争っている。
「まあまあ、氏康殿。この駿河は茶の名産地というが、この茶もなかなか美味である。貴殿も馳走になるがよい。」
 「ズズッ」という茶をすする音とともに、この会談の主役の最後の一人である甲斐国当主、武田晴信が口をはさんだ。
 現在、駿河国甲斐国は同盟の関係にある。しかし、戦国最強とも名高い騎馬軍団を率いる武田家は、北条と同じく矢澤家には脅威の対象である。
 
「そうね。せっかくのもてなしのお茶すら飲めない忙しい人もいるみたいだし、早速本題に入ろうかしら。」
 緊張した言葉の応酬の中、にこから挑発的な言葉が口をついた。
「まあ話の本題と言っても、この会談を開くにあたって、私の家臣の東條が二人のところへ使者に行って説明をした通りだけどね。」
 にこは同席している希のほうに目をやる。
「希、改めて説明しなさい。」
 にこの後ろに控えていた希は、にこの横まできて、頭を少しだけ伏せると説明を始めた。
「はい。今回の会談の一番の趣旨としては、駿河を治める矢澤家、甲斐を治める武田家、そして相模を治める北条家、この三国が同盟を結ぶことにあります。同盟を結ぶことにより、お互いの背後が安全となるため、各々の懸案事項となっている敵に対し、それぞれが自国の兵力や資源の集中を図ることができる、というものです。」
 希の特徴であるエセ関西弁もこの場では出てこない。希はこの会談の趣旨を一通り説明をすると、にこのほうに目をやった。にこは静かに目をつむると、続けなさい、と頷いた。
「同盟の証として、誓紙を交わすほか、晴信公の娘を北条家へ、氏康公の娘を矢澤家へ、そして我が主君、矢澤にこ様の妹、矢澤ここあ様を武田家へそれぞれ嫁入りをさせ、結び付きをより強め、三家の半恒久的同盟を実現します。
 これが、今回提案する三国同盟の内容にございます。」
 希は説明を終えると、伏せていた顔をあげ、晴信と氏康の顔を見た。
「概要はそちらの東條殿が使者として来られた時に聞いていたが、よく考えたものよ。」
 希の説明に最初に口を開いたのは晴信だ。
「この甲相駿の国だけではなく、関東、北陸をも全局的によく状況を見据えた策だと感じる。」
 晴信の言葉に続き、氏康が言う。提案に対しては両者とも好意的なようだ。
「……して?この盟約の案を考えたのは矢澤殿ではなく、そちらの東條殿かな?」
 氏康が続けて質問をする。
「……そうよ。この東條による案だわ。」
 返事のしにくさからか、若干の間が空き、にこが答える。表向きには矢澤家の当主、にこによる提案となっている。しかし氏康には、もちろん言葉にはしないが晴信にもこの同盟を誰が考えたか見抜かれている。
「さようか……。」
 続く氏康の言葉は、この場の空気を一変させた。

「では早速であるが東條殿。貴殿はこの場から中座願おう。」

「なっ……。」
 この言葉に、にこは驚愕した。晴信も表情こそ変えないが、にこに強く視線を向ける。
 当の希は、少しだけ眉を動かすと氏康に返事をした。
「なにゆえ、にございますか?」
 氏康は答える。
「なにゆえ?……そうだな東條殿、それはお主が一番よくわかっていよう。この盟約、これは三家の未来を占うもの。されば三家ともお互い隠すところなく腹を割って話したい。しかし……」
 氏康は次の言葉に間を置いた。


「東條殿、お主は少しばかり口が達者すぎる。」


 氏康の言葉は、希にとっては耳が痛い言葉だっただろう。氏康は続ける。
「この場にお主が居続ければお主の口からは、お主の心にもない言葉もあまた繰り出されるであろう。たしかにこの盟約はお主が考えたものであろう。しかし、それについてお主と話をしにきたわけではない。この盟約は三家の未来を占うものであればこそ、儂は駿河の国の当主である矢澤殿と腹を割って話したいと考えておる。」
 氏康はそう言い切ると、まず晴信に問いかける。
「それでよろしいかな?武田殿。」
 晴信の返事は、否定の言葉ではなかった。
「これは三国の盟約の話であろう。そのうち一国の当主からの提案とあらば、儂が拒む理由はなにもない。」
 意見は二対一となった。
「心外にございますな。私が心にもないことを言うなど……。」
「いいわ、希。下がりなさい。」
 抵抗の意思を示そうとする希の言葉を遮ったのは、他の誰でもなくにこであった。
「しかし……。」
「いいから下がりなさい。氏康殿の言うとおり、この会談は三国の盟主によるもの。氏康殿も晴信殿も、この場には家臣どころか供回りもなしで、身一つで来てもらっている。たしかに希がこの場にいる理由はないわ。」
 希はにこに返事をする。希は仕方ないか、という顔を見せると、再び顔を伏せた。
「わかりました。主命とあらば、私はこれにて中座いたします。
 氏康殿、晴信殿。……そして我が主。この場が三国の未来の繁栄を築くものとなるよう、存分にご検討あれ。」
 希はそう言うと、顔をあげて部屋を出た。
 希は部屋の外で大きく息をすると、天を仰いだ。
 
(ここまでは読み通りや……。あとは頼んだで、にこっち───。)

「ラブライブ!Sengoku Warlord Festival ! ~桶狭間編~」 ⑧

 駿河国、善徳寺。
 ここでは、三人の戦国の雄が顔を合わせていた。そのうちの一人「海道一の弓取り」矢澤にこは、彼女の家臣、東條希の言葉を思い出していた。

『にこっちには、ある人達に会ってもらうよ。』
(……本当に、やってくれたわね。希。)

 

 半年前。
「はあ!?武田と北条と会う!?」
「いい考えやろ?にこっち。」
 希の進言に、にこの声が大きくなる。
「いやあんたねえ…。何考えてんのよ。同盟関係の武田はともかく、矢澤領に侵攻しようとしてきてる北条が会ってくれるわけないわ。
 第一、武田や北条と会って何するのよ。あいつらの首でもとろうってわけ?」
「それは下策やねえ。そんなことしたら武田や北条が全力をもってうちらと戦争してくるやん。そんなことよりもっといい考えがあるんよ。」
 訝しげな表情のにこと対照的に、得意気な希。
「北条と武田と、そっくりそのまま三国で同盟を結ぶんや。」
「なっ……。」
 絶句する。
「無理よ。」
 そして吐き捨てる。
「さっきも言った通り、北条とは現在進行形で敵対してる関係よ。今この瞬間も矢澤領を脅かそうとしてるわ。そんな相手と同盟なんて、常識的にできっこないわ。」
 希は「ふふっ」と言うと、やんわりと言う。
「それがそうでもないんやなあ。」
「……どういうことよ。」
 にこの表情はさらに困惑の表情へと変化する。そんなにこに、希は諭すように説明する。
「まず今の状況から整理してみよっか。ウチら矢澤家は、駿河の北の甲斐国の武田と同盟関係にあって、東の相模国の北条とは敵対関係にある。」
「私がさっき言った通りね。」
 希が続ける。
「んじゃ、それぞれ見てみよか。まず、武田は甲斐国の北、信濃国を治めていた村上家を破り、信濃国をおさえようと出兵を繰り返してる。
 そして東の北条、ここは現当主の氏康公の祖父、早雲公の頃から関東統一を目標に関東各所の勢力と敵対している。ここまではいいやん?」
「ええ。悔しいけど晴信も氏康も勢いがあるわね。特に『河越の戦い』を乗り切った氏康は辣腕だわ。」
 約八年前。矢澤家は関東管領であった山内上杉家扇谷上杉家、関東諸国の勢力と連動し、北条に対して挙兵をした。氏康は駿河に急行するも北条方の城を落とされる不利な状況、さらに関東では両上杉家の大軍が河越城を取囲み落城寸前と、北条家滅亡の危機を迎えていた。
 絶体絶命の氏康は、まず武田晴信の仲介により一部領土の割譲により矢澤家と和睦を結ぶ。そして河越城にとって返すと、窮鼠猫を噛む。一万に満たない兵力で、総兵力八万ともいわれる関東連合軍を夜戦にて殲滅、これを撃退した。
 この戦いにより北条家は、関東での存在感を強め、勢力を拡大することとなった。以来、北条は当時割譲した領土を取り返すべく、駿河への出兵を試みている。
 にこは苦虫を噛み潰したように過去を思い返していた。
「あのときは和睦をしても、河越が落とされて、私が手を下さなくても北条の国力は自然と弱まると思って読んでたわ。それがいまや厄介な敵になって帰ってくるなんて……、読み違えもいいとこよね。」
 希はまあまあ、といった表情をする。
「まあ、昔のことを後悔しても仕方ないやん。今この時に最善を尽くすことが大事やで。」
 話が元に戻る。
「そしたら、もっと北と東を見てみよか。さっきにこっちは武田も北条も勢いがある、って言ってたけど、目標に向かうところで大きな壁にぶつかってる。
 北の武田は越後の長尾家、東の北条は常陸の佐竹をはじめとした関東諸国の勢力。長尾家の新しい当主の景虎公は、晴信公にも負けない戦の天才らしい。関東諸国も佐竹や里見の難敵、山内上杉も弱体化しているとは言え、その役職はいまだに存在する。どちらもそれらの勢力との戦いを制さない限り、目標には足踏みし続けるやろなあ。」
 希が一度、話を切る。そして再び続ける。
「そんでな、にこっち。にこっちも今、足踏みをしている状態やんな。」
 彼女は京への上洛を目標としている。しかし、背後の北条に駿河を脅かされ、上洛への決断を踏み切れない状態にいるのだ。
 にこは希を真っ直ぐ見返す。
「ウチの言いたいことがわかった?三国が同盟を結べば、お互いに目標へ向けて思いきった行動がとれるんよ。背後の心配をなくすことについて、お互いに利害は一致してるんや。」
「……なるほどね。」
 にこは希の説明を咀嚼する。
「この同盟の成算は?」
「信玄公と氏康公が、ウチの見込んだ通りの人物なら、間違いなく盟約は結ばれると思うよ。」
「はん。敵の大名をずいぶん買ってるのね。」
 にこは再び考え始める。
「……わからないことがあるわ。」
「なに?」
「同盟の担保がない。いくら利害が一致するとは言え、これだけ大きな同盟よ。誰かが同盟を崩せば、崩された側は大きな被害が出る。誓紙は交わすんだろうけど、こんな時代よ。誓紙なんて紙切れに等しいわ。それ相応の担保が必要よ。」
「それは……。」
 希が答えにくそうにする。
「それは、何?まさか考えてなかったんじゃないでしょうね?」
「もちろん考えたに決まってるよ。考えたけど……。まあ、いずれは説明しなきゃいけないことやしね。」
 希は逡巡するが、意を決したように話し始めた。
「晴信公、氏康公、そしてにこっち、お互いの肉親が相互に嫁入りし、互いの大名家が血縁となる。単純やけど最強の担保やね。」
 にこは愕然とする。
「それって、もしかして……。」
「そうやね、いうなれば『人質交換』やね。」
 しばらくお互いに言葉が出なかった。そしてにこは悟ると、やっと苦し気に言葉を捻り出した。
「うちからの人質って。まさか……。」
「にこっちには子供がいない。だから……、こころちゃん、ここあちゃんが適任かと。」
 にこの口からは一転、怒気を含んだ言葉が出る。
「あんたそれ、何を言ってるかわかってるの!人の妹をなんだと思ってるわけ!?こころもここあも、政治の道具じゃないわ!!」
「落ち着いて、にこっち。にこっちが妹思いのことも、怒ることもわかってたんや。わかっててこの策を進言したんや。」
「はあ!?どういうことよ!!」


「にこっちの夢を叶えるため!」


 希が一喝する。その目は主君を相手にも怯まない。
「…そして、この日の本のためや。」
 にこは押し黙り、希の次の言葉を待つ。
「足踏みをしているのは、北条や武田、にこっちだけじゃない。今、この日の本全体が争い、同じ国の人間同士で傷つけ合い、血を流し、そんな状態で足踏みをしている。」
 希が一呼吸置く。
「こんな世の中は、誰かが終わらせなきゃいけないんよ。」
 やっとのことで、にこの口から言葉が出る。
「……その誰かっていうのが、私ってわけね。」
「そうや。天下を統一し、乱世を終わらせる。駿河も甲斐も相模もない。この日の本で、みんなが笑って暮らせるような世の中を作る。その役目は信玄公や氏康公じゃない。他の誰でもなく、にこっちの夢に、この国の未来を乗っけさせてほしいんや!」
 にこは熟考する。希の言葉は、たしかににこの心を揺さぶっていた。
 しかし、にこはかぶりを振る。
「やっぱりだめだわ。」
 にこの言葉に希は天を仰ぐ。
「なんでなん……?」
 にこは希の問いかけに答える。
「たしかに私は夢を追うことができる。そして、上手くいけばこの日の本も平らかになるかもしれない。」
 続くにこの答えは、まさしくにこらしい言葉であった。


「でも、こころやここあは?」


 にこは続ける。
「私の夢が叶うのはいつ?日の本が平和になるよは?それまで、いや、無事にそうなるかもわからない、何十年も叶わないかもしれない。そんな中でこころやここあは、望まない嫁入りをして何十年もの時間を過ごさなくちゃならない。
 たとえ日の本が平和になって、みんなが喜んでも、その平和があの子達の犠牲の上になるんなら私は耐えられない。こころやここあの幸せは、私の夢にも、この日の本の平和にすら代えられないわ。」
「お姉様!それは違いますわ!」
 勢いよく部屋の扉が開くと、大きな声が部屋に響いた。にこは突然現れた声の主のほうを向く。
「こころ……。それにここあも……。」
「お姉様!話は隣で全て聞かせてもらいました。」
「なんで……?」
と言うとにこはハッとする。そして希のほうに目をやる。
「希の仕業ね、あんたってやつはほんと…」
 希は何も言わない。こころがにこの言葉を遮ると話し始める。
「それよりお姉様!お姉様は大きな勘違いをしていらっしゃいます!」
「……勘違い?」
 姉は、訝しげな顔で妹をみる。
「はい。お姉様は先程、私たちの幸せは姉様の夢にも代えられない、って言ってましたけど、お姉様の思う私たちの幸せって何ですか?」
 妹の言葉に、姉は返事に詰まる。
 妹は内に秘めた思いを、姉にぶつける。
「お姉様。私たちの幸せは、輝いているお姉様の姿を見ていることです。今までお姉様が夢に向けて頑張っている姿を、ひたむきな姿を、私たちは誰より見てきました。そしてこれからも、そんなお姉様を私たちは支えたい。お姉様が夢を追いかけている姿を、私たちはずっと見ていたいのです。」
 妹の言葉に姉の胸は、じんわりと熱くなっていた。
 やっと言葉をひねり出す。
「どこの誰ともわからないやつの嫁に行くことになるのよ。」
「それが、お姉様の夢の一助になるのならばどこにでも行きますわ。ね?ここあ。」
 もう一人の妹は静かに首を縦にふる。黙ってはいたが、その目は姉への強い思いを何よりも雄弁に語っていた。
「あんたたち……。」
 姉は妹たちのことを大事に思っていた。しかしそれと同じくらいに、妹たちは姉に強く憧れていたのだ。
「お姉様。お姉様はお姉様の進むべき道を進んでください。私たちはその道を進む姉様を、ずっとずっと見ています。」
 しばし時間が流れる。にこの目には涙がいっぱいに溜まっていた。
 その涙をふくと、にこは決心する。
「希。あんたが使者として、武田と北条のもとに行きなさい。この交渉、まとめてくるのよ。」
 希は満足そうに頷くと、元気よく答えた。
「任せとき!この命に代えても話をつけてくる!」
 涙でくしゃくしゃのにこの顔は、夢へ踏み出す覚悟がにじみ出していた。
「にこっち、ひどい顔してる。」
「お姉様、泣き止んでください。」
 にこはもう一度涙をふくと、希たちを呼ぶ。
「うるさいわね。それよりあんたたち、こっちきなさい!」
 なになに?と、三人がにこのほうに近づくと、にこは三人を抱き締めて、呟いた。

 

───ありがとう、こころ、ここあ。ありがとう、希。

「ラブライブ!Sengoku Warlord Festival ! ~桶狭間編~」 ⑦

 再び時は遡り、五年前。


 駿河の国の駿府城では、一人の少々が駿河の国の地図を広げ、頭を悩ませていた。
「やっかいだわ……。希はいないかしら…。」
 少女が呟くと、その少女の背後からすっと影が現れた。
「うちのこと呼んだ?」
「きゃっ!……ちょっと希、びっくりするじゃない!」
「いやあ、ごめんねにこっち。にこっちがうちのこと呼んでる気がして。不思議な力やね。」
 「希」と呼ばれた少女は、大して悪びれもせず言う。
「ほんっとにあんたって、私のこと驚かすのが好きよね。まあいいわ。ちょっと一緒に考えなさい。」
「なになに?恋の悩み?」
「……あんたに相談しようとした私がアホだったわ。」
「ごめんてにこっち~。」
 二人は軽口を叩き合うと、机の上に広げた地図を覗きこんだ。


 矢澤にこ
 駿河遠江三河等、東海道の広大な範囲に勢力を張る矢澤家の当主である。
 この矢澤家、当時の戦国大名達の中では最大級の勢力を誇る大名であった。本国である駿河をはじめとした三国を手中に治めており、その勢力圏の広さはもちろんのこと、動員できる兵力も四万を誇る。また、隣接する大名家である三河の南家を支配下に抑えており、衛星国家的な役割を強いていた。
 その戦国一とも言われる支配力の強さ、国の豊かさは、尾張高坂家だけではなく多くの大名に知れ渡っており、その矢澤家の当主であるにこは「海道一の弓取り」と呼ばれる戦国の雄であった。
 矢澤家は、名実ともに戦国を代表する大名だったのである。


「で?どうしたん?」
 「希」と呼ばれている少女が、にこに話かける。
「また富士山の南麓に北条の軍勢が出兵してきたわ。この前、希に退けられたのを忘れたのかしら。」
 にこが呆れ顔で言う。
「北条も富士山南麓の地点は抑えておきたいんやろね。矢澤家の駿河の国と北条家の伊豆、相模の国の国境だもん。それに……」
 希が続けて言う。
「この前、退けたいうても毎回ギリギリの戦いなんよ。うちも毎回勝ててるわけじゃないし。」
 矢澤と北条は、矢澤の治める駿河と、北条の治める相模、伊豆の国の国境を巡ってたびたび対立をしている。矢澤側も北条側も一歩も譲らず、富士山南麓では一進一退の攻防が繰り広げられていた。
「北条もやるわね。先代の氏綱が亡くなってから少しは楽になるかと思ったけど、今の氏康も十分に難敵だわ。」
「せやねえ……。氏康殿も先々代の早雲公や先代の氏綱公と比較してもひけをとらない力量やね。」
 にこが「海道一の弓取り」であれば、現在の北条家の当主である北条氏康は世間に「相模の獅子」と言わしめる名将である。さらに北条も戦国の世に名を知らしめた大名であり、その勢力は年々大きくなっている。
「少し前から北条より武田との友好に外交の重点を置いてきたけど、北条のほうがよかったかしら。」
 にこは激戦が繰り広げられる北条との国境に思いを馳せながら呟いた。
「武田は武田で難敵やよ。晴信殿を中心とした家臣団は優秀な人材も多いし、兵もよく鍛えられてるやん。あの騎馬隊を敵にすると思うと、とっても厄介やと思うなあ。」
 駿河の北、甲斐の国では有力大名である武田家がその勢力を誇っていた。武田家当主である武田晴信は、「甲斐の虎」と呼ばれるほどの名将であり、戦はもちろん、治水や人事などの内政も万端に行う大名であった。また、武田家家臣団は、馬場信春山県昌景といった優秀な家臣が揃っており、この甲斐の国も強国であった。 
「は~あ。まあ武田とは同盟を結んでいるとはいえ、東がこんなんじゃいつまで経っても西に行けないわ。京への上洛なんて夢のまた夢よ。」
 にこの顔が呆れ顔から困り顔に変わる。
「にこっちは京へ行きたいん?」
 希は、浮かない顔をするにこに疑問をぶつける。
「言ってなかったっけ?」
 意外や意外という表情をすると、にこは得意満面で説明する。
「京はこの日の本の中心よ。先の山名と細川が応仁の時代に始めた乱で荒廃したとはいえ、いまだに多くの人や物が集まる。そして、天子さまがいらっしゃる。たくさんの魅力が京にはあるの。そんな魅力のある場所、このにこにーにぴったりじゃない!」
「………。にこっちは相変わらずやねえ。」
 希の返事には少し間があった。にこはすかさずツッコミを入れる。
「な~によその間は。……でも、各地の力のある者で、この国の政をとりしきりたい、日の本を掌握したいと考える者は少なくないと思うわ。その者達が考えることは一つ。『京』よ。日の本の中心に集まってくる人や物、政の場所を抑えることこそが、この乱世を制する力につながるというわけね。」
 京への思いを口にするにこに、希は軽い気持ちで相づちを打った。
「目指せ、天下人やね。」
 「天下人」とは、その名の通りこの日の本の天下を治める者である。
 にこが答える。
「あったりまえでしょ~!にこにーは宇宙一の武将よ!天下人になって、この日の本どころか海の外に広がる世界でも天下をとるわ!」
「……。」
「……。」
 再び会話に間が空く。今度は長い沈黙となった。


「……なんてね。」
 その沈黙を破ったのはにこだった。
「ねえ、希。あんた、太陽を見たことがあるかしら?」
「……え?太陽?」
 突然の質問に希は面食らう。
「太陽といっても、お天道さまのことじゃないわよ。『太陽みたいな人』ってこと。」
 希は沈黙する。そんな希に、にこは話を続ける。
「私はあるわ。昔、将軍の代替わりの際、駿河守護として挨拶をするために京へ上ったことがあるの。その時にそのお方がいたの、綺羅家将軍、ツバサ様がね。」


「綺羅ツバサ」
 綺羅家第13代将軍であり、応仁の乱により乱れた世の中と、失墜した幕府の権威を取り戻そうと各地を行脚し、奮闘をした人物である。


 にこは思い出を語る。
「この今の乱世を治めるために奮闘されていたお姿は、本当に輝いて見えたわ。まるで太陽のように、そして、私もこんなふうに輝いてみたいって思わされたくらいには、ね。」
 希がやっと口を開いた。率直な疑問をぶつける。
「にこっちは将軍になりたいの?」
 その質問に、にこは首を横に降る。
「それは違うわ。私は、国難を背負った時にあの方のように堂々と立ち向かえるか、それを阻む者と会った時にあの方のように刃を振るうことができるか、あの方と同じ状況に立った時にあの方のように自分が輝けるか。それが知りたいし、その上であの方のように輝いていたい。そう思うの。将軍や天下人というのはその輝きの前では意味を持たない。人のあり方や役職の一つでしかないのよ。」
 希はにこを真っ直ぐ見つめた。そんな希をにこも真っ直ぐ見つめ直す。
「だから私は京へ行きたい。京という舞台で、あの方と同じ場所で、踊ってみたいの。こんな所で、北条なんかに立ち止まってられないわ。」
 自らの夢を語るにこを見て、希は眩しそうに目を細めると小さく呟いた。
「その言葉、しかと受け止めたよ。」
「え、何?何か言った?」
 にこはその呟きに反応する。希は、返事の代わりに、意を決した顔で進言をした。
「にこっち、ずっと前から暖めてきたうちの策を聞いてくれる?今の東の膠着状態を打破する作戦なんやけど……。」
 にこは目をぱちくりさせると、希の提案に勢いよく食いついた。
「なになに?そんなものがあるなら早く聞かせなさい!」
 希は少しだけ間を置くと、一言だけ言葉を紡いだ。


「にこっちには、ある人達に会ってもらうよ。」
 

<その⑧へ続く>