「ラブライブ!Sengoku Warlord Festival ! ~桶狭間編~」 ⑫
「……ずいぶんとナメられたものね。」
にこは、晴信と氏康をにらみつける。
「……ナメる?……矢澤殿を?」
と言うと、晴信は肩をすくめてみせる。
「ははっ、とんでもない。ナメてなどいるものかよ。なあ、氏康殿?」
晴信は氏康に問いかける。氏康は黙ったままだが、晴信の言葉で交渉が動くのを待っているようだ。
「矢澤殿、とくと考えてみられよ。この三国で盟約を結ぶ、武田は北の長尾に、北条は関東の制覇にあたる。これはよい、儂の望むところでもあるし、氏康殿の望むことでもあろう。これはよいのだ。」
晴信は首肯しながら話す。氏康も否定の言葉を出すことはない。
「問題は矢澤殿よ。矢澤殿は西へ向かい、上洛を目指すであろう?そして、矢澤殿には、上洛を為す力もある。これが問題なのだ。
上洛すれば、矢澤殿は朝廷や幕府の名を借り、戦をすることになる。中央の権威が落ちているとは言え、全ての戦に大義名分を掲げることができ、相手を朝敵に回すことができる効果は絶大よ。」
晴信は一瞬だけ間を置くと、この交渉の急所とも言える言葉を繰り出した。
「つまりは矢澤殿よ、この盟約により三国の得られる国益が著しく違うのだ。」
晴信は繰り返す。
「この三国同盟、お互いが大国であるがゆえに、盟約の内容は半端なものであってはならぬ。我らが国益の差に不満を持てば、将来の三国の関係を揺るがす火種になりかねぬ。これは矢澤殿のためでもあるのだ。互いの国益の差を埋め、我らが納得いく形での盟約を結ぶほうが長い目で見てもよいと思うが。」
全て希が予見した通りだ。甲斐の虎と相模の獅子は、この盟約により得られる三国の将来を見抜いている。そして、その将来の話すらも交渉の材料として使ってきている。
「先程も申したが、河東は我が祖父、早雲公より伝来の北条の地。この交渉の場で相手にされずとも、いずれ弓矢と槍を持ってこちらからお相手いたそう。」
ここで氏康が閉ざしていた口を開いた。氏康もにこを揺さぶってきている。目の前の一国の大名を相手に、軍事行動の可能性を隠さない。晴信と氏康は、あらゆる手段を用いて交渉による最大限の国益を得ようと画策している。
この場の交渉結果によっては、今後の各国の戦略に大きな影響を与える。戦国の雄達は互いの肚を探りあっていた。
ただ一人を除いては。
(……この場面、希ならなんて言うかしらね。)
厳しい状況に、にこは口をつむいだ。
(希ならこんな状況すらひっくり返すんでしょうけど。)
その希はこの場にはいない。希の交渉術を恐れた晴信と氏康に退場させられてしまった。
それすらも希は読んでいる。
(まったく、あいつ、どこまで読んでるのよ。凄いを通り越して呆れるわ……。
それでいて、『にこっちがいつも通りやってくれば上手くいくと思うで。』……だってさ。無責任な言葉もあったもんだわ。)
にこは、つむいだ口に薄ら笑いを浮かべた。
(その言葉……、信じたわよ、希!)
「矢澤殿、何がおかしい?」
にこが口元に浮かべた笑みを、晴信がいぶかしむ。
「そうね、ちゃんちゃらおかしいわ。」
立ち上がった海道一の弓取りは、目の前の虎と獅子をじっと見据える。
「……私のためを思って?……弓矢をもって私らと戦う?」
「それが『ナメてる』って言ってんのよ。」
突然発せられたにこの言葉に、晴信の出していた穏和な雰囲気が消え、氏康の顔はより険しさを増した。
「あんたら、なんか勘違いしてるわ。」
にこは座り直すと、何か言おうとしている二人より先に言葉を発する。
「勘違いだと…?」「なに…?」
二人の言葉はほぼ同時だった。
「そうよ。あんたらはこの三国同盟が成立しなければ私が京都へ上洛できない、そんなふうに考えてるわけよね。」
晴信が答える。
「違うのか?…氏康殿は知らぬが、もともと矢澤と我らは同盟国。将来的にもあくまで友好な関係でいたいと思っておるが、それはこの交渉での矢澤殿の態度次第と思っておる。
将来的に国益に差が生まれ、我らが不満を覚えて困るのは、京を目標に我らに背を預ける矢澤殿であろう?」
氏康ほど直接的な言葉ではないが、晴信も軍事行動の可能性を暗に示している。
にこは即答する。
「違うわね。この盟約が成立しようがしまいが……、私は京に上るわ。」
かすかな沈黙の後、今度は氏康が言葉を捻り出す。
「……それはこの北条と武田、両家と敵対してもそう申されるのか?」
これにもにこは即答する。
「関係ないわね。さっきあんた言ったわね、この交渉が破談すれば『弓矢と槍を持って相手する』って。
いいわ、かかってきなさい。そっちがその気なら、こっちも弓矢と槍で応えるだけよ。」
にこの言葉に氏康は閉口した。慌てて晴信が場をとりなす。
「矢澤殿も北条殿も落ち着かれよ。もともとはこの場は三国の関係を取り持つために設けられたもの。興奮めされるな。」
そういう晴信にも、交渉の始まりからまとっていた余裕は消えている。会談の空気は、着実に変わりつつあった。
「矢澤殿よ。いくら矢澤家の国力が強大とはいえ、我らを相手に戦いながら京へ上ろうとは、ちと自惚れがすぎるだろう。もちろん我らは友好でおりたいとは思うが、互いの情勢の如何ではその考えも覆るのも戦国の世の習いというもの。
この戦国の世の中で、矢澤殿のその言葉、その自信はどこからくるのか。感情論の前に、まずはそれをお聞かせ願いたい。」
晴信の眼光は鋭さを増し、氏康の表情はさらに険しくなる。目の前の『矢澤にこ』という人間が、敵に回してもよい存在か、両雄は品定めを始めた。
「どこからくるのか、ねえ……。」
少し言葉を溜めた後、にこは言い放つ。
「そんなもん、私がそうしたいに決まってるからじゃない。むしろそれ以上の理由なんて、いらないでしょ?」
晴信と氏康は唖然とする。何も言えない二人を前に、にこは話を続ける。
「だいたい、あんたたちの言ってることっておかしいわよ。『駿河、甲斐、相模の三国が対等な関係として同盟を結ぶ。』三国にとってこれ以上に平等な話ってないと思うし、それにぐちゃぐちゃ条件をつけるほうがよっぽど遺恨が残るわよ。」
まくし立てるようなにこの言葉に、氏康がやっとのことで口を開く。
「……我らが、『条件が整わぬならこの話は飲めぬ。』と言えば?」
「『あっそ。』……って答えるわ。」
にこは即答する。
「何を言われようと私の話は何も変わらないわ。さっきも言ったけど、この話が成立しようとどうなろうと、私は京へ上洛する。
今日あんたらが帰ったら、明日にでも京へ上ってやるわよ。」
にこの言葉に晴信も氏康も言葉が出ない。どう考えても現実的な話ではない。
『ただの阿呆か、それとも駿河にはそれだけの力があるのか。この目の前の娘の大言壮語を現実にするだけの力が……。』
二人はそんな考えを頭の中に巡らす。
「あんたたちには……『夢』はないの?」
難しい顔をする二人に、にこは問いかける。
「「『夢』?」」
二人はにこの唐突な問いかけに対し、おうむのように言葉を返す。
「そう、夢よ。」
にこは繰り返すと、腰を下ろした。
「そんなに難しい話じゃないわ。私は京へ行き、矢澤家の力を示す。そして矢澤家の名のもとで天下を統一し、この乱世を終わらせる。」
天下への志をはっきりと言いきった海道一の弓取りは、再び二人の怪物を見据える。
「終わらせるのよ。力のある人間たちの野心で、力のない多くの民が簡単に傷つくようなこんな馬鹿げた世の中をね。それが私の夢よ。そこへの道筋にあんたらがいようがいまいが関係ない。あんたらが敵ならば、私はあんたらを打ち倒して私の夢を叶えるわ。」
晴信と氏康は口を開かない。にこは続けて言う。
「私には夢があるわ。……己の一生をかけてでも叶えたい夢がね。」
「もう一度聞くわ。あんたたちには『夢』はないの?」
一瞬の静寂の後、先に口を開いたのは晴信だった。「はーぁっはっはっはっ!!やられたのう!氏康殿!」
豪快に笑う晴信とは対照的に、氏康は押し黙ったままだ。虎の顔は戦国の雄としての表情を浮かべ、その眼には溢れ出んばかりの光が灯る。
「のう氏康殿。儂はこの話を飲もうと思う。己が夢へ語りかけられては、それを叶える機会を逃すわけにいかぬわ。」
かたや軍神と呼ばれる終生の宿敵と決着をつけること。かたや祖父以来の宿願である関東を制覇すること。
戦国を代表する二人の男の心に、「夢」がないはずがない。
にこの言葉に駆引きは存在しなかった。ただ彼女の言葉は、国を治める大名としての二人にではなく、戦国に生きる武将としての二人の心を揺さぶったのだ。
「『民を慈しみ、安んじよ……。』」
今度は氏康が口を開いた。「え…?」とにこ言うが早いか、氏康は続ける。
「我が父、氏綱公が黄泉へ逝く前に残された言葉だ。」
氏康は再び眼前ににこを捉えた。
「矢澤殿。お主の『この乱れた世の中を終わらせる』といったその言葉、額面通り受け取るわけにはいかぬ。」
氏康の否定的な言葉に、にこは目をつむった。
「矢澤殿の作る世の中が、北条の民を苦しめ、ひいては日の本の民を苦しめるものならば、我らは容赦せぬ。
……それまでは、盟友として各々の道を進もうではないか。」
その言葉ににこは目を開いた。氏康の言葉は、同盟を容認するものであった。
晴信がぽん、と膝を叩いた。その表情は穏和な雰囲気に戻ってある。
「はっはっ。これにて会談は終いじゃ。いろいろなことを申しておったが、氏康殿、お主意外と話がわかるやつではないか。」
「やかましい。」
晴信の軽口に、氏康はピシャリと一言だけ口にした。
ここに、甲駿遠の三国の同盟は成立したのである。
その後の盟約の手続きは滞りなく進んだ。会談の場で誓紙が交わされると、晴信の娘は北条家へ、氏康の娘を矢澤家の虎太郎のもとへ、そしてにこの妹、ここあが武田家へそれぞれ嫁入りし、それぞれの娘たちは人質交換の役割を担った。
「これで、もう後には戻れないわね。」
にこは呟いた。にこの妹、ここあが晴信のもとへ行った。わかってはいたが、にこにとっての最愛の妹が去った悲しみは大きかった。
「そうや、ここから前へ進むだけや。」
大きな悲しみと引き換えに、にこは前へ進むことを決意した。
希の言葉は、にこの夢の始まりを告げていた。
<12.5へ続く>